エリアの老舗や歴史的なものを訪ねたり、新しい建造物や取り組みなどをご紹介。キーワードは「もっと中原が好きになる!」。

『中原街道を往く』 vol.03 謎めくカギの道から、感動の丸子の渡しまで

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さて前回は小杉御殿跡という、そこかしこに歴史を感じるエリアで終了した街道歩き。今回のスタートは、ほど近くにあるとされるポイント、 【御主殿稲荷】 からなのですが、ない!!探せど探せど見つからないのです。

御殿を防衛する 「カギの道」 に翻弄され、その機能性を体感

そして、稲荷を探して進むも、道幅が狭いうえ、カクカクと直角に近い曲がり角が多発。見通しも悪いし、編集部はどんどん真夏の日差しに追い詰められていき、ちょっと険悪な感じ…。すると、なんとこれがもう一つのポイントでもあった 【カギの道】 だったのです!迷子になるうちにハマっていたカギの道、かつて御殿を防衛するためにあえてこのような工夫が凝らされたと言います。御殿跡でまんまとカギの道の思惑どおりとなった私たちは、 「すごい!カギの道は今も機能しているんだ!」 と感動。

結局、探し出すことの叶わなかった 【御主殿稲荷】 ですが、もともと小杉御殿が御用を終え、1655年前後に建物を分割して移築された跡地に、建てられたのだそう。そして、現在の土地の所有者による管理対象となっているそうです。おそらく、途中でそれらしき鳥居を見つけましたが、私有地のようだったので遠慮したところがそうだったのかもしれません。

 

そんな這う這うの体でたどり着いた次なるポイントは、【石橋醤油店】

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こちらは明治3年から醤油づくりを開始し、昭和26年頃まで操業していたそうです。

私たちは以前、中原区にある創業150年の老舗醤油店 「福來醤油」 さんを取材しましたので、遮光性のある建物をひと目見るとすぐにポイントである醤油店だとわかりました (ちょっと自慢) 。

その取材時に、かつてこのあたりにも醤油工場は幾つかあったとお聞きしていましたが、こんなふうに既に歴史的建造物としての状態を目の当たりにしますと、今でも現役で醤油づくりをしている福來さんのことを思い、胸が熱くなりました。

 

街道沿いに突如 「歴史」 が現る!

ここからは、カギの道でもてあそばれたロスを取り返すかのようなスムーズさでもって、思わず感嘆の声がもれるほど立派なポイント、 【名主家長屋門】 またの名を 【安藤家長屋門】 を発見!

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こちらは江戸時代末期に建造され、平成24年11月には川崎市の重要歴史記念物に指定されています。

 

 

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安藤家の祖先は、小田原の後北条氏に仕えていた安藤大炊助重虎(あんどうおおいのすけしげとら)で、後北条氏滅亡後に小杉村に土着帰農したと伝えられています。江戸時代には、橘樹郡小杉村の割元名主(わりもとなぬし)として、代官の指揮下で近隣の村々の名主を統括していました。(出典:川崎市教育委員会webサイト

 

通りから少し、奥まったところに鎮座する長屋門は、両脇を囲む見事な赤松が情緒を醸していました。なお、建築様式や特徴についても、教育委員会のサイトでは詳しく解説されています。

 

さて、残すポイントはあと2つ。気温はぐんぐん上昇し、スマホには熱中症注意報がバンバン飛び込むなか、私たちの街道歩きは既に2時間となっていました。中年の体にムチ打って最後の元気を振り絞ります。

【原家欅門】

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いかがですか?まさに圧巻。こちら、中原街道沿いにあるんですよ!

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あまりにも壮麗、修学旅行にでも来たかのような光景に編集部のテンションも最高潮です。naka08

こちらの注目すべきは、 「旧原家母屋跡地」 とあること。現在はこの立派な門の向こうには母屋はなく、その代りに高級レジデンスが存在していました。そしてこの母屋はいずこへ…?

原家は近世以来の旧家で、代々中原往還に面する小杉陣屋町に屋敷を構え、明治期には小杉村における有数の豪農であった。明治44年(1911)には旧主屋を一新し、新時代の生活に対応した間取りを持つ2階建・入母屋造瓦葺の近代的な主屋を新築した。

この建物は、平成3年、日本民家園に移築・復原されている。

(出典:川崎市教育委員会webサイト

生田にある日本民家園での原家住宅はこちらからご覧になれます。

実は、この建物、 「ひと、まち NAKAHARA」 を運営しているジェクト株式会社と大変ご縁の深いものだったのです。いずれそのことも別記事で書いてみたいと思っておりますので、「今知りたい!」 という方へぜひこちらをどうぞ。

そしてとうとう、この旅の最終ポイントである【丸子の渡し】 が見えてきました。

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と言っても厳密には、丸子橋です。かつて中原街道を渡る人々にとって、昭和10年に丸子橋が完成するまでは川を渡る唯一の交通手段が 「渡し」 でした。これを再現するイベントも、秋祭りとして実施されているようです。

結論。 「街歩きは楽しい!」

およそ2時間半をかけた今回の街道歩きでしたが、実際に一つひとつのポイントを見つけながら歩くことは、発見の連続で実に楽しいものでした。発見は文字どおり、新たな視点を得ることの他に、現代とは異なる古い時代に、確かにここに人々が生き、往来を歩いたであろう息吹を確認できたこともまた、一つの発見として得難いものでした。

『中原街道を往く』 は、いったん今回で終了しますが、既に別の街歩き企画も準備中です。

涼風が立つ頃にでも 「故きを温ねて新しきを知る」 身近な旅をしてみませんか。

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