中原エリアに住む・働く・生きる魅力的な人たちをインタビュー。がんばる誰かの日常が、誰かの背中をそっと押すような、そんなきらめく人たちをご紹介します。

作物を手に取るまでの工程が「見える」と、愛着はグッと増す!かしま園の試み

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お盆を過ぎたあたりから近所にお住まいの方を中心に、実りの報せを待ちわびる声が聞かれるのはかしま園さんの多摩川梨です。時代と共に都市化を進める中原エリアですが、下小田中の辺りはこの地に代々受け継がれている農家さんが丹精込めた地の作物や見事な園芸品が親しまれています。

今回は 「多摩川梨をつくり始めて30年」 で農林水産大臣賞を受賞するなど、県下随一を誇るかしま園の5代目、鹿島 連さんにお話をお聞きしました。

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かしま園
住所: 川崎市中原区下小田中5-1-2
TEL : 044-777-0923
FAX : 044-751-0332
URL : http://kashimaen.my.coocan.jp/

多摩川沿いをのぼっていった “多摩川梨” 。今では下小田中の初秋を知らせる風物詩に

今では信じられないかもしれませんが、この辺りもかつてはほとんど田んぼだったんですよ。うちも祖父の代までは米づくりがメインで農閑期の傍らでパンジーをつくり始めたのですが、戦後30年くらいになると自家用米しかつくらなくなっていきました。昭和50年あたりになると減反、すなわち米の生産調整政策が激しくなっていき、すっかり様相が変わっていきました。今の梨畑のある場所なんかは田んぼだったところなんですよ。

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しっかり完熟となるまで樹になっている梨だから、芳醇な甘み
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「鹿島さんの梨」を育てるかしま園の5代目、連さん

梨をつくり始めたのは30年ほど前。今はおかげ様で午前中のうちに売り切れてしまうなど、ご愛顧いただいていますが、始めた当初は周りから 「梨なんてできるの?」 と懐疑的な声があがるほど(笑)。でも大抵、新しい試みはそういうものですからね。

 

多摩川梨は、川沿いの砂地が適していたと聞きます。もともとは大師河原(現在の川崎区出来野)の方で1960年頃に栽培が始まったそうで、工場地帯となる前にまちの発展につれて、川沿いをのぼっていったのです。長十郎梨は、1893年頃に当麻辰次郎さんという方がつくった品種で、当麻さんの屋号が 「長十郎」 だったんだそうですね。

長十郎梨の特徴は歯ごたえがガリガリとしっかりしていて甘い。今はいろんな品種がありますが、年月と共に万人受けするような味わいが主流となっていきました。たとえば、20世紀は豊かな水分と芳醇な香りが特徴で、良いとこ取りをしたのが幸水あたりといった具合です。

 

“都市化と農業” は顧客優先の時代だからこそ、好機となる可能性を秘めている

私の父の代までは 「都市化と農業」 は大きなテーマだったようです。都市化されたなかで営む農業というのは、時代に逆らっているものですから。たとえば肥料ひとつ撒くにしても、住宅街でもあるし、近隣の環境を配慮する必要がありますよね。風が3メートル以上吹いたら散布しない、などの鉄則もあったりしますし。そういう時代に合わせたやり方に変容させながら、同時に近隣に暮らす方々へ畑に足を運んでもらう機会を模索したりしています。都市近郊農家の良い面としては、昔だったら、農家というのは自分たちでつくった作物の値段を決めて販売する道はありませんでしたが、今は工夫次第で農家が消費者と直接つながれる時代。いろいろな手法が生まれ、道の駅などのようにつくり手と消費者がダイレクトでつながる成功例も出てきましたよね。うちでもパンジーを地堀り栽培を活かして直に畑から選んでもらって販売するようになってから、このやり方を他の作物でも活かしてみようと考えるようになりました。

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「今は工夫の時代。都市近郊農家ならではのやり方がある」

農業はある面では財産管理の手段であり、職業です。息子に継がせたのは 「収入を得なくてはならない」 という理由もありました。職業であるからこそ、試行錯誤してお客様に喜んでいただく工夫をするわけですが、パンジーの地堀り体験などはその一例と言えます。営利の畑に一般の方が足を踏み入れる機会はあまりないものですので、鮮度が高く品質の良い作物であれば、喜んでいただきつつ購入していただくこともできるわけです。そういった付加価値として、“こんなに東京に近い場所で畑がある” というのは、喜んでいただける要素であると思っています。作物を手に取るまでの間の工程が見えていると、愛着は増すものです。最近ではご要望も受け、地方発送を一部行っているんですよ。

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