エリアの老舗や歴史的なものを訪ねたり、新しい建造物や取り組みなどをご紹介。キーワードは「もっと中原が好きになる!」。

『中原街道を往く』 vol.01 吉良氏菩提寺・泉澤寺と門前市まで ~

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梅雨明け宣言のあった7月某日、勢い勇んで見慣れた中原街道を歩き始めました。
そこは、もちろんいつもとなんら変わることのない道路なのですが、江戸の時代にどんな人々がここを歩いたのだろう?などと思い馳せながら歩くと、不思議と気分も違ってくるもの。
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今回のルートは、「川崎歴史ガイド」 に沿って進むことにしました。この日は照り付ける日差しはもちろん、湿度も高く、帽子装着に飲み物を携え、熱中症にならない対策を万全にしてスタートしました。

早速最初の関門は 「地蔵尊」 です。

 

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エポックなかはらを背に、進行方向を確認します。

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本当は、「石像群」なるものがあると、市による 「歴史散策ルート」 には記載があったのですが、目視で確認することができませんでした。その代り?石材店が2軒あり、こちら調べてみると創業100年を越す老舗でした。

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「中原街道沿いに多く残る石仏、石碑は、特に細道や用水支流との交差地点に目立つ。ここは井田堀と交わるところ。この地蔵尊は歳の市や地元の祭りの拠り所として大切な存在であった」。

最初のポイントを通過し、そのまま進むと意外とすぐに次なるポイント 「泉澤寺」 に到着です。非常に由緒を感じる古刹です。

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静謐なたたずまいと、蝉しぐれのなかに身を置くと、一瞬忘却の境地に…。

ここ、泉澤寺は、戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として延徳3年 (1491年) に多摩群烏山 (現在の世田谷区烏山) に創建された浄土宗の寺院です。

5世心参上人の代に諸堂を焼失したため、天文19年(1550)に吉良頼康が現在の上小田中の地に場所を移し再興しました。
 泉澤寺文書(市重要歴史記念物)によれば、再興にあたり吉良氏は、同寺の寺領を安堵し、弥陀三尊を寄進し、さらに門前町を指定して居住者に諸税を免除し、市場の繁栄を図るなどその保護につとめました。
 また、地域の精神的な紐帯(ちゅうたい)として人々の信仰を集めた上丸子山王社(現・日枝神社)へ像高198.5cmという大きな釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)を奉納(現・大楽院蔵)して、武運長久を祈っています。(出典:川崎市教育委員会webサイトより)

現本堂は安永7年 (1778年) の再建で、川崎市の重要歴史記念物となっています。

また、このあたりを特区とし、居住促進を活発に行っていたそうで、同じ頃に世田谷で始まった門前市が、現在も続く 『世田谷ボロ市』 だそうです。

お詣りを終え、さらに進みます。

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今回の目標地点、「神地橋と二ヶ領用水」 です。

ここは、県下もっとも古い人口用水路で、関ケ原の戦いの3年前に測量が始まったとされます。支流として 「根方掘」 、「川崎掘」 、「六ヶ村掘」 、「久地、二子掘」 がありました。しかし現在では、川崎掘のうちの、川崎市高津区・中原区内の流路がもっぱら 「二ヶ領用水」 として存在し、他の流路は90年代までにほぼ埋め立てられたしまっています(出典;wikipedia)。

 「神地橋」 の読み方は 【ごうじばし】 。

もともとはこのあたりの地名 「神地」 が由来するそうですが、現在の住所表示では上小田中にあたるようです。

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ほんの少しのそぞろ歩きではありますが、異なる時代にこの道をせわしく闊歩した、そのときどきの人々の暮らしを想像してみたりなど、なかなか楽しい街道歩きとなりました。

≪つづく≫

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