中原エリアに住む・働く・生きる魅力的な人たちをインタビュー。がんばる誰かの日常が、誰かの背中をそっと押すような、そんなきらめく人たちをご紹介します。

賃貸マンション共用部を地域に開いて、人と人のつながりを生み出すという発想。 悩み続けた模索の果てに見出した、「想いを込めた」暮らしの提供 【前編】:石井 秀和 (株式会社南荘石井事務所 代表取締役)

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JR武蔵新城駅を降り、はってん会商店街を歩くと、やがて見えてくるのが 『PASAR SHINJO (パサール新城) 』 。マルシェの開催はもう恒例イベントになり、木肌のぬくもりがあたたかい併設のカフェもあり、言われなければここが賃貸マンションの一スペースとは気づかないかもしれません。取材をしていた当日も、石井さんを訪ねてくる方がひっきりなしという、実に多忙で活気そのものといった石井さんは、ここ、セシーズ・イシイ 7 のオーナー。

いわゆる大家さんとして実にこの地で 4 代目を数えます。賃貸物件に、これまで無縁とも思われた住人とのコミュニティを立ち上げ、いくつものアクションを同時に走らせる石井さんは、言うなれば  “街のプロデューサー” 。今回は石井さんに、人への想い、街への想いをうかがうと共に、大家さんとして覚悟を決める、ちょっと以前のことも振り返っていただきました。

石井 秀和
株式会社南荘石井事務所代表取締役。1975年、神奈川県川崎市生まれ。小中と育った地元を出て、東海大学理学部物理学科卒業後、日本オリベッティ株式会社でエンジニアとして経験を積む。2000年、父が代表を務めていた南荘石井事務所へ入社し、2013年、父の跡を継ぎ現職。

同じ大家となってみて改めて思い出される父の背中。
悩み、迷いながらの 10 年を経て、少しずつ見出していった自分らしさのかたち

うちは曾祖父の代から大家で、僕は 4 代目にあたります。幼い頃から 「この家をいつか継ぐのだな」 と、自然に思ってきました。現在 18 棟の物件を所有し、この 『 PASAR SHINJO 』 は、もともとセシーズ・イシイ 7 という建物です。よくおぼえているのは、幼い頃に父と東京に行った際に、あちこちに森ビルの看板が出ていて、それを見た父が 「父さんがあれやったらそのあと継ぐか?」 と尋ねました。 「うん!やりたい!」 と僕が答えたのですが、おそらくそれがきっかけでセシーズ・イシイのビルが次第に増えていったようです。ああ、父は本気で考えてくれていたのだな、今はそう思っています。

小学校へあがると、周囲ではボンボンだのからかわれるようになって (笑) 。思春期の頃までには本当に地元が嫌いになってしまいました。そんなこともあり、大学を卒業後は就職をして、エンジニアとして働いていました。残業も非常に多く、日々はハードでしたね。当時注目を集めていた 2000 年問題への対処業務や金融システムの導入、メンテナンスを担当していましたが、 2000 年 7 月に株式会社南荘石井事務所に入社しました。 3 年前に父が急逝したため、代表に就任しました。

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いざ大家になってみたら、何をしたらいいかさっぱりわからない。与えられた環境に対して、自分の居場所を見出すこともできず、考えてみれば 2000 年からここ 10 年は暗中模索の日々。わからないからひたすら走ってきたという実感しかありません。そのなかで知ったこととして、 「できることは自分でやった方がお金がかからないうえ、やりがいがある」 ということでした。大家業って不労所得で成立するので、自分で仕事を探さないと何かをやっている実感が得にくい職業だと思います。思えば父も、管理物件の掃除をするなど、一生懸命何か自分ができることを探していました。
現在この、共用部分を大幅改装した 『 PASAR SHINJO 』 は、共同住宅の入居者同士だけでなく、入居者と地域住民とがつながるハブのような存在を目指しています。武蔵新城での暮らしをもっと楽しくするための街の広場として、今年 1 月にオープンしました。 62 世帯の賃貸住宅であるセシーズ・イシイ 7 の共用広場として、 『新城テラス』 をはじめ、パン教室などの店舗と多目的スペースからなる集積となっています。おかげさまで、オープン以来マルシェを皮切りにさまざまなイベントを行っていて、入居者の方々だけでなく、近隣の方々にもお越しいただくなど活況となっています。

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けれど、そもそもこの実現までにおいても、成功を確信して始めたわけではもちろんありませんでした。きっかけは建物の定期検査です。その検査で建物のタイルの多くが剥離している事態だとわかりました。放置していずれ事故が起きてはいけないし、全面的な改修をどう施すか悩みました。全面改修をしたら、建物はただ 20 年前の姿に戻るだけ。ここで考え抜いて出た答えが、改修に合わせて 「住まう方の精神的満足度を高めること」 でした。

影響力のある活動に欠かせない、人を 「巻き込む」チカラ。
苦手だった自己表現に踏み出したら、拡がる視界のなかで出会った仲間や先達の姿

セシーズ・イシイ 7 の、ちょうど競合と言える建物は周囲におよそ 300 世帯ほど存在します。物件として部屋単体を見ると、狭くて設備を重視した改装は困難。であれば、共用部分のバリューアップをしよう、そう思い至ったのです。シンプルでぬくもりある洗練された外観に、機能性も兼ね備えたい。そうだ、入居者の方々とコミュニティをつくろう!そうやって、一つの目標が定まってからはどんどん構想が形になっていきました。エントランスを中心に視線の高さの 1 階の外観をきれいに整えて、 2 階以上は必要以上に手を加えず、メリハリをつけた改修を行いました。

さらに震災は、もう一つのことを僕らに教えてくれました。これまでのプライバシー重視だった暮らしから、絆や交流を求める変化が生まれた。心細さを補い、どこかに所属している安心感を、賃貸住宅の形でどうやって提供できるだろう?こうした必然とも言える出来事に背中を押されて開始した 『 PASAR SHINJO 』 は、僕だけがイベントやワークショップのプランをつくるのではなく、今では近隣の方々と一緒になって企画、運営をしています。こうしたことがもはやコミュニティなのだと感じています。

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こうした活動で欠くことができない、人を巻き込むチカラについては、行き着くところは結局、 「想いを込めること」 に尽きます。自分の想いを発信し、その考えに、アイディアに対してファンになっていただくことがたくさんの人を活動に巻き込んでいくのだと思います。同時に、影響力のある活動でなければ変化は起きません。影響力のある活動にはこの、巻き込み力が重要なのです。そんなふうに言っている僕も、かつてはここで非常に自信が持てずに悩んだ時期があります。そんなとき、仕事を通して知り合った大手デザイン事務所の代表の方に、 「自分をちゃんと表現しなくてはだめだよ」 と言われたのです。ガツーンと来ました (笑) 。

 

その頃僕は、自分のビジョンを口にすることを意識的に避けていたのですが、一緒に仕事をするまさに影響力のある方々はみんな、それに長けていましたから。それを聞いて腑に落ちるところがあり、以来意識してビジョンや自分の考えを発信するようになったのです。そうやって自己表現をどんどんするようになったら、現実が動き始めた。類は友を呼ぶと言いますが、より求める部分が似ている仲間が集まるようになりました。それと、出る杭は打たれると言いますが、出過ぎた杭は友を呼ぶのだ!と知りましたね。頭一つ出た視界から見渡すと、同じような仲間たちが、あるいは先達の姿が見えたのです。

【後編】 へつづく

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