中原エリアに住む・働く・生きる魅力的な人たちをインタビュー。がんばる誰かの日常が、誰かの背中をそっと押すような、そんなきらめく人たちをご紹介します。

滋味豊か、味わい深い “中原生まれの醤油” は真心と誠実さでできている。明治から平成へ、変化する時代にあっても普遍的な価値とは【福來醤油(三田 喜久雄)】

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そのたたずまいからしてまさに趣きが漂う、明治初期創業の福來醤油は、住宅街のなかで確かな存在感を放っています。ほんのりと鼻腔をかすめる香ばしいお醤油の香り、大きな木製の醤油樽がいくつも並ぶ工場内に踏み込むと、とたんにその香りが濃度を増していきました。

現在では川崎市内唯一となった、醤油製造所『福來醤油』の5代目社長である三田 喜久雄さんを訪ねました。

_DSC1712三田 喜久雄

福來醤油株式会社 代表取締役。昭和6年生まれ、昭和19年法政大二高等学校卒業後、福來醤油入社。その後、父の跡を継ぎ5代目社長として、創業100年を超す老舗醤油製造業を営む。

創業100年を超える醤油づくりの歴史は、時代と社会の移り変わりのなかで磨かれて今なお進行形

創業が明治初期で、現在と変わらず中原のこの場所で先祖が醤油づくりを始めました。私で5代目を数え、その間、優に100年を超していますのでいろんなことがありました。かつてはこの辺りには他にも醤油づくりを営むところも数軒あったのですが、もう今ではうちだけ、川崎市内でも既に唯一となってしまいました。私の家もそうなのですが、主に農業をやっている家が農閑期に醤油づくりやそうめんづくりをしていたようです。この辺りは、きれいな地下水が豊富だったのと、大豆と小麦を作れば、醤油づくりは開始できるからです。私の父の代になると、農業を止めて醤油づくり専業となりました。

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昭和6年の生まれですが、幼少時代より家業である醤油づくりはとても身近なものでした。昭和19年に法政第二高等学校を卒業し、本当は進学したかったのですが当社へ入社することになりました。とはいえ、家業を継ぐことはごく自然なものとして受け止めていました。それからは父についての修業時代のスタートで、当時の思い出と言えば、夏場は2時間ごとに麹の様子を見に行かなくてはならないのですが、_DSC1670夜中でも関係ないので眠くて眠くてね…。これは、気候によっては温度が上がりすぎて発酵が進みすぎてしまうと醤油の出来に影響してしまうので、欠かせない大事な仕事でした。修行と言っても、自然と叩き込まれて経験によって覚えていくというものでした。時代はやがて戦争に突入していくと、物資がなかなか手に入らなくなったこともあり、事業は休業していました。戦後も、経済が落ち着いてくるまでは原材料や道具などをそろえることも困難な状況が続きました。

今に至るまでの間には、本当にさまざまな危機もあり、時代の変化に合わせて乗り切ってきたのです。

福來醤油は主に本醸造方式でつくっています。蒸した大豆と炒った小麦を同量程度混ぜ合わせ、種麹を加えて麹をつくります。これに食塩水を加えタンクで仕込むともろみとなっていきます。かきまぜながらおよそ8ヶ月から1年の間、寝かせます。麹菌などが分解、発酵されて熟成されていくのです。気候によって熟成具合が変わりますので、温度管理を施していきます。その後、もろみを絞り、火入れをしていくわけです。

 

工場にある大きな木製の樽ですが、今ではこの樽を製造できる職人もほとんどいなくなったと聞きます。当社に残っているものは、市内で廃業した同業者から譲り受けたものもあるのです。

 1年がかりで変化を見逃さず、慈しんでつくる本醸造。大量生産ではなく真心込もった一本がうれしい

だいたい一ヶ月の出荷量は1,000リットル程度です。一本一本を手づくりしているので、大量生産はできません。昭和28年頃ですと、酒屋などで醤油は量り売りしていまして、あの頃はみんな頑張ってビラをつくってまいたりしてね。そうした小売り屋さんとうちとで、協力しながらだいぶ活発に商売していたこともあります。また、生麦の方では当時、漁業を営んでいる人たちも多かったので、そういうところに卸すと貝なんかの佃煮づくりに役立ててもらっていました。今では醤油は世界40か国で販売されていると聞きますから、そういう海外展開に頑張ってくれている人もいるおかげで世界中で醤油が親しまれていくのはうれしいものです。

醤油の他に、めんつゆをつくっていますが、 この「フクライめんつゆ」も「福來醤油」と共に『かわさき名産品』の認定を受けています。家庭用で購入できるのは、今は元住吉あたりの酒屋やスーパーだと思います。
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(編集部注:川崎市内で生産・製造・加工・販売されている品物のなかから、おみやげにも使えるような川崎らしい商品の認定を受けた製品が 「かわさき名産品」です。2015年では市内全98品が認定され、中原区からは新認定の7品と更新した13品の計20品が選ばれています。

昔と比べて塩分量を減らして製造しています。消費者の好みもありますが、かつて塩分量を多めにしていたのは衛生管理の問題もあったのです。当社の醤油は、塩味の他、旨味、甘味、酸味、苦味を持ち合わせているので、どんな料理にもよく合います。大根の煮物など、味がじっくり染み込んでとても美味しくなりますよ。)

 

 

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