エリアの老舗や歴史的なものを訪ねたり、新しい建造物や取り組みなどをご紹介。キーワードは「もっと中原が好きになる!」。

人の暮らしと地域の変遷。「土地にまつわる物語」の語り部として継がれゆく

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下小田中に生まれ、お祖母様やお父様から土地の歴史を聞きながら成長した内藤 松雄さん。現在もその土地に暮らし、変遷を見続けてこられた内藤さんに、現在の下小田中の土地が持つ新たな役割や、栽培に適した作物などをうかがいました。

宅地化政策に抵抗し、 25 軒の農家が守り抜いた土地。現代に担う新たな役割

古くから農業が盛んだった中原周辺地域でも、市街化区域のため高度経済成長期の頃には 「宅地化すべきもの」 という考えのもと、宅地転換を求められました。それにより、多くの農家が農地を宅地や商業用地として地目を変更していきました。現在の住宅が立ち並ぶ光景は、そうした経緯をもっているのです。

一度でも農地を宅地や商業用地に変更してしまうと、二度と農地に戻すことはできません。それでうちなどは、いわば抵抗勢力のように 「農業を守ろう」 「緑を守ろう」 と強い意思表示をし、農地を “生産緑地” という形で残し、農業を続けてきました。今、下小田中には 25 軒の農家があるのですが、この 25 軒はそうやって生産緑地を守り続けてきた歴史があるのです。

こうして守ってきた生産緑地を、今度は新たに “防災農地” に指定する動きが広がっています。防災農地というのは、自然災害などの非常時に、農地を避難場所やテント村などに使用するという制度です。普段は農地として使用しているこの土地ですが、地域の皆さんの安全確保のために利用するというもの。開発を進めた時代には想定もできなかったような災害が増えている昨今、土地もまた、新たな役割をもって重視されるようになったのは、感慨深いものがあります。

青々とした果樹が育つ、緑豊かな内藤さんのお宅
青々とした果樹が育つ、緑豊かな内藤さんのお宅

常連客だけで完売してしまう、安心・安全のとれ立て野菜は、地域の方々のために

そのような新たな土地活用も担うようになった現在では、都市近郊農家はますます見直されています。下小田中にある農家はみんな、都市近郊農家としてそれぞれの家が特徴ある農業をやっています。私の家ではトマトやナス、枝豆をはじめとする季節ごとのさまざまな野菜の他、みかんや柿、イチジクなどのくだものを栽培しております。他の農家ではパンジーやデイジー、シクラメンなどの花の他、ナシなども作っています。和イチジクは今では珍しいものですし、冬柿などは品評会で一番高い糖度となるなど、くだものは本当に評判なんですよ。みかんだけで15本の木がありますが、サマーオレンジやポンカンなど、いろんな種類を育てています。


畑ではさまざまな季節野菜がのびのびと育っています
畑ではさまざまな季節野菜がのびのびと育っています

収穫した野菜の一部は、近所の直売小屋でも販売していますが、とても好評です。ほとんどが、昔から心待ちにしてくださっているなじみの方々で、 「家族やご自身が体を壊されたため、食材に気を使っている」 というお声を実によく耳にします。皆さん、健康のために安心・安全で新鮮な野菜を求めている方々が本当にたくさんいらっしゃることを知り、わざわざ列を作って買いに来てくださる方々のためにも、私も体力がもつ限りは、地元の方に安心できる我が家の野菜を届けていきたいと思っています。

肥沃で水害にも強い下小田中の土地は、住みやすさと安全性を備えている

地形図を見ながら下小田中の地形を説明してくださいました
地形図を見ながら下小田中の地形を説明してくださいました

防災農地の話をしましたが、地形図を見ると 「なるほどな」 という、納得の理由が一つあります。これは祖母がよく言っていた話で、今聞くとにわかに信じられないのですが、昭和初期の頃です。祖母が畑仕事をしながらふと駅を見やると、うちに来る予定のお客さんの姿が見えたと言うんですよ。そこで、祖母はあわてて家に帰ってお茶の仕度をして、お客さんを迎えていたとのこと…。さて、ここで言う駅とは、どこの駅だと思いますか?なんと、武蔵溝ノ口駅だというのです。

要するに、この下小田中周辺は地盤が高く、溝口よりも上に位置しているのです。今でこそ、土地も整備され、建物も多く、遠くの駅舎を見ることはできませんが、昔は土地の高低差がよくわかったのかもしれません。話を戻すと、地形図では下小田中あたりは、小高くなっていることがわかり、水害などにも強い地形であることで、防災の観点で重視されているわけです。

かつて、私の父、内藤 直作が書いた 『畑のおじさんが書いた郷土史30年の文集をまとめて』 という冊子があります。そこには、小田中の地名や由来に始まり、祭りや伝承文化の実に仔細な記録や、時代の変遷と土壌改良に伴う農業の歴史までがつづられています。 「昔のことは誰も知る人がない」 というのは、あまりにさみしく残念なことです。そう思うと、こうして私も機会があれば、愛着のある下小田中の今昔を語り継いでいこうと考えてみたりするのです。

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